言葉にしないこと
就活はあるべき姿を自分がやってきたことに関連させて作り上げることが大事だと聞いたことがある
今ふと思ったのだけど、私って人間に、決まった言葉はないんじゃないか…?
前本屋で立ち読みした、「言葉をつくるから認識される」構造主義の話をふいに思い出した。あぁちがう、前にもらった橋爪大三郎の『はじめての構造主義』で読んだんだ。作者覚えてたのすごいな。あってるかわからないけど。
なんでそう考えたのかって
最近私は毎日ブログ書いててわかったことがあって、ブログ書いてると日常を人に話す癖がつくから、彼氏とかに対しても自分の今日起こった話ばっかしてしまってるな、と思ったことから。
余裕がなかったのかなー仕事探しとかで、と思った。
と同時にブログ書く人の心境って?ってなって
何かを写真に撮ったりするのも私は誰かに伝えたいからなのかなとか、その伝える手段はどういうつもりだったのかなとか。
あー思ったこと忘れそう!
最初は、ブログのために私はいろんな写真撮ったりしてるんじゃないか、最近。って思ったんだ。
ブログのために日々の出来事を忘れないようにしてて、ブログのために…大事な何かを見落としてるんじゃないかって。
だけど同時に、そうやって決めつけることで自分の人間性を定義してしまってないかなーって思ったんだ、たぶん、たしか。
だけど本当はきっと定義なんてできない
複雑で環境に応じて変わっていってあらゆる可能性があるもの
そういうもの、として捉えれば良いのになんでいつも定義づけたくなっちゃうんだろう…
きっと私が写真撮るのも、ただ誰かに見せたいっていう感情があって撮っただけで。
ブログためにとってたのかも、と思えばそう思えてくる、だけどそんな風にわざわざ考えなくても良いじゃん、と思った。