納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

最近のいろいろ

 

いま自分の心の中にある考えをうまく?いやうまくなくてもよい、まとめたい。書き残しておきたい。

今自分の中の価値観が揺さぶられてる。というか、私がなにを大切にして生きてきたかを思い出したというか。今までは蓋をして何となくモヤモヤしつつも、一人で切り開いて頑張るしかないと思ってた。でもそれを分かち合える人が現れて、私が大切にしていたものをちゃんと大切にしていて、それを見て私も昔の記録とかを引っ張り出してみてちゃんと考えてるじゃん、と驚いたりした。そしてそんなふうにstruggleしている自分が偉いなと。

言葉にしないと伝わらない、とは言っても人と人は多分100%分かり合えることはないだろう。だってそもそも、思考を100%言葉にすることはできないから。考えてることって、感情とか環境に常に影響されて不確定要素が多すぎて、口に出した瞬間に抜け落ちていくものもあるだろうし、それを全て伝え切ることはできない。でもなんとなく口に出さなくても伝わることもあったりして、そういうのが近い人、遠い人がいることもわかった。面白いな。なにがそうさせるんだろう。なんの違いなんだろう。面白がるポイントも違う。そういえば私の好奇心はつねに「人がなにを面白がるのか」というところだった。何かを面白がる人が好き。中学3年生のときに初めて書いた「小論文」では「人の笑いのツボについて」調べて、大学二年生の研究発表では「面白みを探る旅」という企画をやったし卒論では「よく分からないと揶揄される現代アートのイベントに市民ボランティアとして参加してる人がなにを面白がって続けているのか」を調べてた。面白がるものは、人それぞれだと言って仕舞えばそれまでなんだけど、そもそもなにかを面白がる人、って、いたりいなかったりしてて。私は常に「面白が(れる)る人」に興味を持っている。まぁ私が見える範囲のことに限られてるんだろうけど。

 

まーそんなこんなで、考えてることを久々に人と交わす、ということでこんなに気持ちが満たされるのか、と実感して。まーきっとそれは、私が自分の中で大切にしてる価値観や、自分の褒めてほしいところをちゃんと認めてもらえることにある、とわかったわけ。それって結構私の中では重要で。たとえば「一緒に暮らして幸せ」って、一言で言っても色々あると思う、どういう瞬間に幸せなのか、とか、人によって違うし。だから「結婚したら幸せ」、とか単純に言って欲しくないし、結婚してどんなことを共有してそれがなんで幸せだと思えるのか、ちゃんと話し合いたい。確証を持ちたい。というか想像したい。まー欲を言えば、話し合わずとも共有したいけど。

なんかよく分からなくなってしまった。でもとにかく色々考える自分が好き、ということを思い出したし、もっと自信持っていいんだなとも思った。私は私だし、と。

 

まーって口癖なんだよねーやめよう。