納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

敵わない人と出会う時

なんか、敵わない人と出会うと自分って本当に生きてる価値ないなって思う。それはめっちゃ辛いし落ち込む。それだけ尊敬できる人が周りにいることは幸せかもね。でもそうじゃなく、私もハッピーでありつつ向上したい。と思うが、それは自分にダメージを受けたくないということなのでプライドが高いということになるのだろうか。本当自分の嫌な部分ばかりが気になる。今日もあーなんてこの人はいい人なんだろう、それに比べて私は、と始まり、(頭の中で)、久しぶりに会う人に自分の今後のことを話すときに「〇〇で〇〇をやることになりそうでー」とかいう自分の話し方にも、あープライド高いなーと思う。その役割に中身が伴っていないことはきっとわかる人にはわかるだろう。それが怖いし、変にその大学に通ってたからその道に進むと謎のプライドが出てきてできないことに直面したくないと思うから、全く門外漢の場所でできない知らないことから吸収するのがいいのかなとかも思って、それもまた逃げなのかなとか、プライドが邪魔をするのかとか。結局私はこれから先の身の振り方を見栄で選んでしまったのかなとか、それだから結局うまくいかないんじゃないかなとか、嫌になっちゃうんじゃないかなとか、閉じこもってしまうんじゃないかなとか、、、書いてて気持ち悪くなるほど不安だなw

 

ま、環境が変わったら、とイメージして、そこにいる自分はわくわくしてて、あれしようこれしようが膨らんでるんだよね。

なのでいいか。とりあえずパンたくさん食べて研究したいな。

いや待てよ、私それでいいんかな。アートじゃなかったのかな。やりたいことは。どちらもやりたい。人に自分のやりたいことをうまく説明できないのも嫌だな。あーなんか全部嫌だな。ネガティブだな。そりゃそうだよ、この状況じゃね。とかも思ってしまう。なんだかなー。人のものが羨ましい。その人自身が持ってるものやその人に集まる人が羨ましい。魅力的な人間には魅力的な人間が集まる。私は?一緒にいる人も尊敬できてない。なのに惰性で一緒にいるみたい。いや、別にその人以上の人はいないんだけど、根本的な価値観の違いは解決してないよな。みたいな。

 

いや、でも私はまだまだ25。これからまだまだ失敗もできる。やってみさえすれば。

 

きっとここも最後だから、その環境でうまく立ち振る舞えなかったことで、逃げ、みたいになってる感じがするのかもしれない。全部環境を離れる時は大体(表層的だったかもしれないが)いい感じで終わってきだ私からしたら、不得意なことや人がいて、このまま終わるとそれを認めることになるのが嫌なのかもしれない。

でもそれ私一体何者になろうとしてるのか?あの人みたいになりたいけど、あの人の嫌な部分は似たくない。あの人のあれとあの人のあれとあの人のあれになりたい。みたいな。私の知る限りのあの人のいいところを詰め合わせて完璧人間を目指してしまって、そんなの叶うわけなくて落ち込むって、すごいバカかも、と書いてて思ってきた。私は私でしかないし、この未熟な未完成私と向き合うしかないし、うまく自分の心が折れないように操るしかないし。

 

楽しいことを考えて、いまの色々なものに自信無くして焦って閉じこもってる期間を突き抜けたいわー!

 

 

追加

 

そうだ、最近敵わないと思う人が多いんだよね。だからこそ痛感する。悔しくて落ち込んで、いまの自分の限界というか、現実を突きつけられる感じがして。でもそれ私にとっては大切な感情なんだよな、それを感じなかったら自分の成長も止まると思うので。なのでメモしておこうと思う。

 

会社の人、2人は、方面は違えど敵わないなとおもう。

1人は面白さ、頭の回転、周りを笑わせる力。

もう1人は周りの人から好かれる力。毒のなさ。純粋さ。

 

あと芸能人だとテラハのviviちゃん、田中みなみ。

考えもしっかりしてて気が使えて向上心があって見た目も可愛くて最強。

 

あーでもいずれにしても私が憧れるのは「人を不快にさせない言動」だな。私にないもの。「人を傷つけない言動」ができる人に憧れる。それができたら頭がいいなと思う。機転がきくとか、気が利くとか、そういうことに通じる大切な入り口。

今は私は傷つけたり不愉快にさせるのが怖くて発することができてない。