納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

おかしいことになってる

悲しい気持ちから抜け出せずにいる
自分が毎日見ずにいられないこのSNSがほとほと嫌になった
ちょうど先日同居人と何のためにSNSをやるのか?という話をした
なぜ私たちは発信しなければという思想にかられるのか

誹謗中傷なんてその人が悪いことがあるはずなくてたまたまでしかないと強く思う
私だったかもしれない、とかも思う

亡くなったと聞いてまさか?というのと同時になぜか後ろめたさを感じてた
私は番組をみてて、そこで多くの視聴者が思うと思われていたことを同様に思ったんだ
私も怒りをコントロールすることが苦手で大切な人を傷つけてしまうことがよくあった
そういう自分の嫌な部分と重ねて嫌になった
でもそれはその人の一部なのにその人自身を嫌いだと決めつけた自分の視野の狭さ、そしてまんまと自分が大衆のうちの1人として扇動されていたことに絶望した

それは、自分で考えて判断する力が圧倒的に弱くなっているということ
多数決のように「みんなの目」が判断材料になっていく世の中になっているということ

このままではいけない

改めて自分に言いたい。
SNSに依存してはいけないんだ。
SNSを通して自分を見つめることをしてはいけない。
当たり前だけど生きていることだけで十分に価値がある。
わざわざそれを発信して、リアクションの有無や内容に左右される必要は全くない。生きて、暮らしていることが目的なのだから。
そのために「自分」をまず持つ。
その次にSNSがあっても、なくてもいい。