焦燥感から脱却する方法:その2
今は、自分自身がどういうことに向かって何をしていたら焦燥感減るのか、わかるようになってきた。自分が心地よい話し相手が見つかった感じ。
定職というものをなくし、人生の目標をどこにどう設定したら良いかわからなくなりかけていた私の、いまのところ2つの解決策。
1)アートプロジェクトに関わる人についての考察
やはり自分の興味関心はずっとそこにある。
経験したことない感情や状況に直面した時それを自分の経験値の中で置き換えて判断するか、はたまた全く新しいものとして面白がれるか、という違いがあって、自分は後者の振る舞いができる人に憧れがある。
対象がアート以外でもそうなんだが。でもアートの現場だとより多く立ち現れる。そして面白がれる人、というのはなぜか(全く肌感覚でしかないが)西洋からの文化芸術というか、たとえばピアノの先生だとか、近そうに見える文化芸術界隈の人の方が、面白がるまでに高い壁があったりして不思議。
みたいなことを、同じレベルで話ができると充実した気持ちになる。同じ思考の人と話すことで自分が肯定されている感じがする、自分の居心地の良い場所なんだろう。
そういう意味では、家族や友人との会話も居心地が良い。ただ、居心地が良いだけでは平和ボケしてるのでは?!?!とか焦燥感も生まれるので、やっぱり私の中での永遠のテーマ、に対する考えを交わしたり共有したり新しい知見を得ることが一番前に進んでいる感じ、とまではいかないまでも、前に進む方法を示してくれるような感じがするので、心地よい。
2)汚れのリセット
毎日毎日、生活しているだけでゴミは出るし、埃はたつし、洗濯物も洗い物もふえる。
どうせ放っておいてもよごれていく、たまっていくものだから、溢れたらやろう、という感じで、2人暮らしになってからストレスを抱えつつやっていたのだけど、最近は溜まる前に毎日やる方が心地よいと気がついた。
(書いてみると当たり前のことだな)
2人暮らしで2人とも仕事してるし、私ばっかやってるの理不尽だとか思っていたけど、私が心地よくいるためにやると思うと何も文句はない。きれいにしてるの気づいてよ!とは思うけど。
まーでも、家事ってめんどくさいことの集まりですよね。
でも、つるつるとかさらさらが好きだし、いい匂いが好きだし、なにより掃除していれば前に進んでいる感があるので、これは焦燥感の払拭に効果的だと思った。
今のところはそんな感じ。焦燥感はあまり感じていないです。(良いんだか悪いんだか。)
ーーーーー
〜その他〜
①しごとについて
最近は仕事との関係性について考える。
私の大学関係の人とかは結構仕事<自分の興味関心だけど、私の同居人は別。今の彼の人生の中心は当然のように仕事で、自分を削がれまくっても仕事に全力投球している。
でも私は、自らが発信するあらゆることのパフォーマンスを下げてまで、仕事に身を捧げる理由はないと思う。
元気が出なくて周りに心配をかけながら仕事するのは、えらいように見えて実は自分のわがままでしかない。仕事だから、対価を得るから、ちょっと正当化しているように見えるのだと思う。二人の生活のためと思っているのであれば結構です、それよりも同居人が楽しそうであることの方が私にははっぴーなのだが。
仕事って、誰もがやらなければ生きていけないけど、自分でいかようにもできると思う。義務教育ではない。誰かにやらされる仕事なんてない。自分で選択して今そこにいる。
全力でやって楽しい、充実しているなら全く問題ない。
でも全力でやっても結果が出なくて楽しくない、それが向いていないと思うなら、その場所を離れたらいい。絶対にもっと生き生き仕事できる場所があるはず。
簡単に言い過ぎかな。
②かいわについて
自分、キャッチボールがすごく下手だと思う。
人に相談ごとしている時の録音を聞くなどする時に痛感する。
情報処理能力低めなので、考えを整理しつつ話すのが苦手。文章の方が得意。
というのと、会話の中で1で言ったような、何か人から新しい情報を得た時に自分の経験値のなかで置き換えて会話を返してしまうことがいや。でも、そこでそういうリアクションをすべきところなのか、もしくは共感すべきところなのか、判断するのって難しいし、判断しようとか思ってたら会話のテンポが遅れる。
感覚的に、これは共感、これは新しい情報、と敏感に感じ取って即座に返したい。卓球みたいな感じで打ち返して、打ち返されたいなあ〜〜〜と思う。
あと、その時には気がつかないけど、後から録音を聞くと喋っている内容でここ深堀りしてほしいんだろうなあと思う箇所ってある。喋り方とか間合いがちょっと変わるんだよね。
キャッチボールがうまくて、聞き上手な人はそういうことが感覚的にできるんだろうなあ。考えてやろうとすると変な間が生まれて、意味が伝わらなくなるので。
以上。