納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

2021/03/19(木)力作

お風呂入りながらもやもやと考えていたこと

自分に足りないものとか家族との思い出とかなんだけど、
家族の関係性ってマジで不思議だなーーと

自分に不都合なこととか、そうでないと思いたいこととかって自然に記憶の中から抹消されてて良好な関係性だけが上書きされていくのよね、

なんか最近文章書いてないので書きたい気持ちはありつつ書き方を忘れてしまいかけてるな、
なんだろう、句読点がむずい!特に句点が気持ち悪いゾーンに入ってしまった!

今日はとりあえず洗濯機から山盛りに溢れていた洗濯物を2回に分けて洗い、一回目を干してから仕事開始。
4月に入学する留学生のイベント計画たてたり、オンラインイベントについて調べたり、他の大学のオリエンテーション調べたりした。あとは来年度の英語の授業の準備など。

お昼は夫が12-13時ミーティングなので、それに合わせて13時から。塩焼きそばと昨日の鍋の残りで雑炊。炭水化物パーティー🎉いやいや、どっちがいい?と言ったらどっちも、と言われたので!!!!(夫のせい)
すごいよね、いやほんとすごいと思う。食生活って一緒にいる人次第でこんなにも変わるんか。
一人暮らし始めたての頃、3食入りで180円とかなのでよく買って食べてたなぁ、塩焼きそば。仕事終わりに手軽に食べられて安いしちょうどよかったんだよね。輪切りのオクラと豚肉を一緒に炒めると美味しかったなー。でもパーソナルトレーニングに通ってから糖質×脂質=悪!と叩き込まれてからすっかりご無沙汰だった。いや理由はそれだけじゃないね。ソース焼きそばは安い時あるけど私の好きな塩焼きそばはいつも値段変わらず高かったからだわ。でもこの前たまたま安くなってたので買った。
塩焼きそばを見るたびにこのように岡山での生活が思い起こされるのだろうな。

あと家族が増えると、手軽に食べられる昼ごはんってほんと限られるなと思った。昔、父のいる土日は焼きそばが多かったけどわかるなーと思った。なんか懐かしいなぁ。フライパンにくっついたカリカリの焼きそばをこそげとって食べてたなぁとか、ご飯ができても自分の部屋とかにいると父親がキレながら呼びにきたりしたなぁとかねー。当たり前の日々だった(しみじみ)


思い出話はこのくらいにして
最近日々に追われてて書きたいことが溜まりに溜まっているのだ

最近は英語と数学のインプットにハマっている。ま、勉強といっても英語はYouTubeなんだけどね。数学はまだⅠの多項式とかだけど、脳の普段使わない回路を使うようで楽しい。

あとはえーっと、今日は夜夫が同期とリモート飲み兼仕事のヒアリング?だったので、夕方に一人で買い物してきた。
18時に仕事終えて、夫は20時から飲み会だったので2時間ある!と思って時間気にせずゆっくりぷらぷらした。ちょー楽しい。贅沢な時間の使い方だよねぇ…と打ちつつ、今のこの何もせずにゲーム実況のYouTubeをみながら朝ごはんを食べる日々とかのほうが贅沢じゃね?と思ったわ。いやいや、贅沢ってのは浪費とは違って満足感も同時に得られるものを指すのか。
なくなってた歯磨き粉とかお酒とか買って、19時くらいだったので業務スーパー寄って、19:30に帰宅。急いで準備して、20時に夫は飲み物とつまみを持って部屋にあがっていった。
そこから追加のつまみを作って持っていったらお酒一切開けてなくて、ご飯も手をつけてなくて、小声で「ガチの打ち合わせだった…」というのでなんかやたら心が痛んだ。かわいそうね。
それから私は一人の自由時間!いとこから突然電話がかかってきて、出たら〇〇と結婚したの、という報告だった(いとこは脳性麻痺で車椅子生活なんだけどヘルパーの方と結婚したという設定?になっているらしい)
その後、友達とラインしながら同じYouTubeをみてリアルタイム感想共有した。同じ感覚で物事を捉えられる人がいるの幸せ。その感覚がずれてしまったときに距離ができてしまうんだろな、と思う。その友達とはそうなりたくないので、常に私もアンテナ張って考えながら生きていこうと思うわ。。置いてかれぬよう。
でもその聞いてたYouTubeの中でも出てきて、あと最近ハマっているひろゆきYouTubeでも出てきたのだけど「お気持ち主義」と言うのを学んだ。ひろゆきは、キラキラネームをつける親にはいろんな願いとかがあったとしても結局頭の悪い親が間違っているだけなのでダメ、みたいな論調。それを自分が発信することでキラキラネームつける人が減ったらいいと言うけど、本当極論おじさんだよねー。好きだけど。
そう今私はひろゆきが好きなのだ。猛烈にハマって猛烈に冷める、と言うのが私の典型的なパターンなのでそのハマりの時期なんだけど、極論でも可愛く見える。
今日の配信でも、キラキラネームをつけたら人生損するのでやめた方が良い、とかいいつつそういう人がきたら僕採用しますけどね。面白いので。とか平気で言うのでウケた。早速矛盾してるやんとか思いながらも再生回数マネーの一回分は俺ー♪状態である。
フラットな立場で(かどうかしらないけど少なくともしがらみは少なそう)あれこれズバズバ答えてくれる人っていいよね。そういうのが求められてる節あるよね。変だよね。空気読めないと空気読めとか失礼とか言われる割に、みんなそれ求めてんじゃん、みたいな。
しかしまぁ、それを言っちゃまずいだろ、みたいなところを踏み込んでしまうと有名人は大変である。オリンピックと渡辺直美さんの件。
面白いなと思ったのかもしれないし、ブレスト程度のLINEまで顕になってしまったら創作活動を制限するとかいう意見も、一部わかるけれども、それにしても人が傷つくかもしれないことがわからないというのは大変だ。まぁ偉そうにいう自分も全くもって自信ないが。
でもその人が傷つくというのも曖昧なレベルで、今はどんどん許容値が狭まってる気もする。ジェンダーとかセンシティブな話題について、そこまでデリケートではなかった人たちも騒ぎ立てて、それによってなんとなく当事者ではないのに傷ついた気がする!みたいな人とかも出てくるかもしれない。そうなったらもう誰も傷つかないように当たり障りないことをしていくしかないの?という話で。
まぁー渡辺直美さんのコメントは人間できてんなー!!!!って感じの素晴らしさだったけどね。

話変わるけど今コクヨ野外学習センターのポッドキャストを聴きながら書いてる。耳の野外学習、と言って民族音楽を「ふく」とか「はじく」とかで括ってただ流しているんだけどめちゃ楽しい。撥弦楽器好き。

あと最近そういった(ひろゆき等の)YouTubeLiveを聴きながら通勤したり家事したりすることが多いんだけど、映像の時間感覚が短期間でどんどん変わってるなーと思う。

今は1時間半とか2時間とか、全然聴ける。
少し前であれば全く聞く気が起きなかったが。
YouTubeも数年前までは5〜6分が当たり前で、10分を超えるものは再生すらされなかったというけど、今は15〜20分のものも普通に見られてる。ライブ配信をきいてて、20分とかあっという間に経ってたりするので驚くよね。
耳もかなりの情報を仕入れているので、こういうブログ書くときは無音じゃないと書けないし、なかなか人の会話を聞くのって「運転中」「家事料理中」「ドライヤー歯磨き」とかに限られるので私の中でラジオとYouTubeライブ配信が時間を取り合っていて大変。オードリーのANNは欠かせないのですが…
コンテンツが長くなればなるほど競争は激化するよね。
姉の10分の演奏動画なども短いな!!!!と思うし、
コンサートに行っても一曲一曲みじか!!!!と思う。
一方でTikTokがはやってたり、YouTube shortsがあったり、短い動画というのもそれはそれで再生されているんでしょ。
どういうこと?!?!

…いや、私が年取っただけか。
年取ると一年とか秒だしね…
昔永遠に続くと思っていた英雄ポロネーズなんかも今聞いたら短いかもしれない。

こんなところで今日のところは終わりにしよう。

いや普通に句点使うんかい。