納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

2021/10/21

ピアノが弾ける人生だったら。。。


ショパンコンクール、反田さん小林さんおめでとうございます‼︎

一次から(無論全員の演奏きけてないが)世界中のピアニストの素晴らしい音楽をたくさん聴かせていただいて私の人生どれだけ豊かになったか。。。

クラシックの演奏家は本当にすごいなと思う。
オードリーの若林さんは、ラジオで卓球の石川選手がゲストで来たときに「スポーツ選手は小さい頃から何時間も練習して試合に臨んでいるから修行僧みたいなオーラになるよな」的なこと話していたが、それをいうならばピアノやヴァイオリンなどの演奏家は最も修行僧なのではないか。

早ければ1歳台から楽器に触れ始め、毎日何時間も練習。
ホールという閉じた世界のなかでコンクールが開催され、明確な勝ち負けのない世界でずっと一人で舞台に立ち戦っている。

スポーツのように中継もされないから「観る専」も生まれにくい。本当に音楽をやってきた人ばかりの中で、切磋琢磨していくという。

ショパンコンクールの配信はそういう意味でクラシック界にとってかなり有意義だなと思う。過去のコンクールのアーカイブも蓄積されていて、私のようなミーハーでも興味を持てば世界中のピアニストの映像を見ることができる。

クラシックの演奏に触れる機会がコロナもあって減っているなかで、こうして高画質、高音質で、若いピアニストが今、ショパンの曲をどう解釈してどう表現するかという最も繊細な競争?を見ることができるなんて。ありがたや。

曲の解釈と表現の違いは人それぞれすぎて本当に面白い。

例えば3次で演奏された葬送第4楽章、3楽章で葬送行進曲が流れ、最後の第4楽章では両手のユニゾンで終始鍵盤を右往左往して終わる(語彙力)。

第4楽章についてショパンが触れたのは「行進の後に両手がおしゃべりする」というものだけらしい。

だから、明確なイメージはない。

明確な答えがない点は美術と一緒だが、違うのは、演奏家がそれを再現する身にあるということ。
再現することに注力するならば、個人の解釈をしすぎてはいけない、ただ、明言されていない以上、個人で想像力を膨らませなければ伝わる、心動かされる音楽にはならない。

もちろん演奏家がいかに想像力豊かでも、それを表現する力がなければ良い演奏、伝わる演奏にならないので、演奏家は毎日毎日技術を磨くために練習する。

本当にすごい世界だ。

そんなすごい世界の人たちが、せっかくわたしには身近にいるのだからもっとそのすごさを知って欲しいんだよな。
そして一人一人の演奏の面白さ、曲の奥深さを知ってほしい。クラシックの魅力にハマる人を増やしたい。そしてどんどんコンサートの需要も増えて、演奏家も増えて、演奏しない人も聴く楽しみが増えて、ストレスが減って、世界が平和になったら良いのにな…