納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

主語が大きい文章への違和感

「真備は負けない」

というポスターを見た。とても違和感を感じた。負けない、という文字にだろうか、と初めは思った。何と戦ってるのか?何を負けとするのか?そもそも負けちゃいけないのか?負けたって良いじゃないか。

 

でも、「負けない」というワードは小さい頃から(むしろ小さい頃の方が)身近にある気がして、そこ関してあまり違和感は覚えない。「私は負けない。」という言葉であれば、個人のモチベーションの話であって、私がとやかく言えることではない。

 

じゃあなんで違和感を感じたかって、主語の方だと思った。

「真備は負けない」

真備は、という言葉には、ひっくるめた一人称としての真備、をひしひしと感じる。そうなると、なぜわたしやあなたの分の感情もいっしょくたにされるのか?と思ってしまう。