主語が大きい文章への違和感
「真備は負けない」
というポスターを見た。とても違和感を感じた。負けない、という文字にだろうか、と初めは思った。何と戦ってるのか?何を負けとするのか?そもそも負けちゃいけないのか?負けたって良いじゃないか。
でも、「負けない」というワードは小さい頃から(むしろ小さい頃の方が)身近にある気がして、そこ関してあまり違和感は覚えない。「私は負けない。」という言葉であれば、個人のモチベーションの話であって、私がとやかく言えることではない。
じゃあなんで違和感を感じたかって、主語の方だと思った。
「真備は負けない」
真備は、という言葉には、ひっくるめた一人称としての真備、をひしひしと感じる。そうなると、なぜわたしやあなたの分の感情もいっしょくたにされるのか?と思ってしまう。