納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

2021/01/10(日)


20代前半は現代アートや地域アートに頑張って食らいついた。
20代後半は音楽の場作りに費やした。
みたいな感じになりそうだな、とふと風呂で思った。
というかそうしたいな、と。

最近、現代アートに対するモチベーションは無くなりつつある。
大口叩いて出て行った前職、まぁ大学院にトライしたいのでという理由は全く嘘ではなかったし挑戦もした。ただ私はそこにこれからの人生をかけてまで追究したいことを見出せていなかった。憧れの先輩や先生がたくさんいて、かなわない人だらけだったからこそ私もその中でバリバリと頭角を表したい!と思っていたけど、伴う中身ではなく立場だけを求めていた(のかもしれないし、そうでなかったのかもしれないので決めつけることはしない)。

今思えば何故大学生の頃、そして社会人になり1〜2年、あれだけ「やりたいこと」を決めることに迷っていたのかと思う。それをシャワー浴びながら考えていたので忘れないうちにメモ。

大学では自分の意思で選んだと思い込んでゼミに入った。そこでは面白いプロジェクトや人生経験の全く違う人や全く知らなかった世界が広がっていて、私はここで面白いことをしたい!と思っていた。高校までは、教科書や本に書いてあることを理解して実践すればすぐに結果が出たし、家族や親戚からも言われたことをやったら褒められていた。だからこれからも、そうやって言われたことをやれば自ずと自分も面白くなれると思っていた。
でも現実は全く違って、私はこのプロジェクトの何を面白がればいいんだ?!とわからなかったり人間関係でも沢山悩んだ。
全部自分が至らないせいだと思っていた。
なので、自分を認めてくれる身近な人に対して、私が仲間入りしたい世界のことなんて分かりっこない、と決めつけていたと思う。大学生の頃、親からもトゲトゲしていたと思われていたのはそのせいなんじゃないかな。

社会人になる時は、自分は別のルートからこの世界を攻める!と思って一般企業に就職した。それはそれで本っ当に勉強になること多かったし岡山で働けたのはかなり良かった。ただ、そこでも自分が理想とする姿には全く届かなかった。
沢山時間をかけたし仕事に向き合ったと思う。それでも頑張っていることは報われないし、自分も満足いく仕事はできなかった。

もちろん、長く続けることで会得できることってあると思う。
その域に達してないまま諦めるのか?という話も、わかる。

ただ、今私は素直にやりたいことに向かい合えている。
沢山枝分かれしてた道がどんどん削ぎ落とされてシンプルな一本道になる感じ。
あの人にこう思われたいからとか、ゼミでやってるから、仕事でやってるからやらなければ、とかが今はあまり関係ない。だから自分の居心地のいい環境で、乗せられるがままに自分ができることをやっていると、それが認めてもらえて自分もやりがいを持てて…という感じ。音楽が好きだし、周りにも音楽が好きな人が沢山いて、今の仕事も音楽関係が多くなってて。もっとああしたいこうしたいというのが出てくるし、いまの仕事のために費やす時間は全く惜しくない。

これまでは自分の興味というより目指すべきもののためにやらねばの精神で動くことが多かったから、それに興味が追いつかなくてしんどかったのかな、と思う。

これからはシンプルに素直にやっていくのでもいいかも。


追記

あと就活などで露頭に迷ったときは、自分の興味を全部ひとつに結びつけようとしていた。日本の焼き物がすき、地方創生に興味がある、アートに興味がある、、、みたいなのを全部全部できる仕事を必死で考えていた。でも、それはそれ、これはこれ、で全然良いよね、と言ってあげたい。趣味的に好きなものは、好きなものとしてこねくり回さずそのままにしてあげて。自分が目指すべき姿に混ぜ込まないで。
それが偶然に掛け合わされて面白くなることもあるかもしれないけど、最初からそれを目指していては折角の好きのモチベーションがなくなってしまうので。

と思った。