納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

人付き合いのはなし

f:id:greenteaespresso:20160323000034j:image


人付き合いが苦手になったのはいつからだろう…(ありがちな書き出し)
 
気がつけば、気心知れた人以外と二人でいる空間や大人数での集まりが苦手になってた。
 
なんでだろう?と思って浮かぶのは
・気を使って疲れる
・うまく会話ができる自信がない
・会話についていけない、入れない
・みんなの輪に入れ
まぁ書いていて落ち込むようなことばかりなのでやめます。
 
 
自己嫌悪、みたいなのが私の場合、ものごころついた時からきっとずーっとあった。
小学生のときの自分に自己嫌悪して中学時代があって、そんな中学時代に自己嫌悪した高校時代、そしてもう何もかも疲れて頑張ることをやめた大学時代(なう)。
 
どういう自己嫌悪かっていうと
小学生の頃→姉がいたからおませさん。友達にも知ったかぶりまくる。うざさMAX期。
中学生の頃→そんな自分が嫌になり何も知らない馬鹿なキャラをつくる。自ら変なことをして注目を浴びようとする。ジャニオタを全面に押し出す。いじられキャラになろうとする。
高校生の頃→そんな自分が嫌になり繊細なキャラをつくる。(だんだん今の自分に近づいてきた)勉強もそこそこ頑張ったから馬鹿キャラはプライドが許さなくなる。
大学生→変に名が知れた大学に受かりプライド絶頂期。からの周りがすごすぎて一瞬でズタボロになったプライドをやはり手放せずにいる。ただひたすら交流も最小限に。
 
という自己嫌悪をきっかけにした変遷があっての、今のこの偏屈な自分なんだと思う。
 
(なんかこのはてなブログって、フォントが整ってるからかどんだけネガティブなこと言っても「これぞ真理!」的なこと言ってる気になるね。)
 
 
自己嫌悪というのは厄介で、どんな時も、どんな時も、私が私らしくあるために、ついてくる。年をとればとるほど自己嫌悪が襲ってくるスピードが速くなる気がする。だから迂闊に人と話ができない、そんな自分にまた自己嫌悪が迫ってくる…あぁ恐ろしや。
 
しかも、自己嫌悪はときに「卑屈」を生み出すから困る。
自己嫌悪しやすい人はきっといろんなことを気にして生きている。周りの人のこと、その人たちからの視線も。気遣いもできるけど、いらぬ想像までしてしまったときには、あぁまたやってしまった、もう何もしないほうがまし、とまで思って人付き合いを避けることもある。
 
 
また自己嫌悪する人はそれだけ自分に求めるものが高いとも言える。
それがプライドの高さだったりする。
私こう見られたい、みたいな。
そんなもん取っ払って、何も考えず一緒にいて楽しい人と楽しく過ごしたい!と思う。けどどうしたら良いのかわからない……!なになに?話が合う人?ネガティブな人に決まってるじゃん‼︎
 
最近、中学校のときずっと一緒にいた友達と話をして思い出した。
中学校のときしかしらなかったからかな、今の○○(私)に少し驚いた
というようなことを言われ、中学校のときどんなだったかなぁって。
 
いじられキャラを頑張って目指してた。
ってのはさっき書いた通りで、あとは
化粧をがんばっていた、とか
友達の数を増やそうとしていた、とか
部活で大好きな先輩がいた(女子校)、とか
しょーもないことばかり思い出すけど、
3年生のときクラスの全員が好きで(女子校)、バレンタインに全員分マカロン作って簡単な手紙くっつけて渡した、とかも思い出して。
なんかみんなに平等に接するように心がけたのは中3くらいだったかなぁと。
 
だからこんないまの卑屈かつ自分に自信がなくて自分にも他人にも厳しい、みたいな私をみて驚いたのかな。
 
 
みんなに平等に接する、っていうのはとても難しいことで、余裕がなければできなくて、これがずっとできる人こそみんなの中心にいる人なんだな、と、今もしスクールカーストがあれば下層部にいるであろう私的には思う。そんな人こそ「すごい人」だ。
 
すごい、というのは一様に評価の軸があることで、
注目を浴びる人=すごいこと。
(私の中で)
 
小学生のときなんて、なんの邪心もなしにスクールカースト上位こそ正義だと思ってた。
怖い考え方だよね。
運動ができる→正しい
運動ができない→正しくない
みたいな判定基準で、満たされた人が正しくて、欠けてるものがあればスクールカースト落ちる、みたいな。だから下層部は何かしら悪いところがあるからなんだと思ってた。自分を含めて。
 
これは偏見とか差別とかの話にもなりそう。だけどこの辺で割愛させていただきまして。
 
 
ここまで読んでくれた方ならお分かりかと思うのですが私はとても自分に自信がなくネガティブです。
しかも対人関係苦手だから人との会話もこのブログ並みに自分語りばかりになってしまうのが悩み。(他にも悩みはたくさんある)
 
対して母はものすごくポジティブで、というか「思考は現実になる!」タイプの人だから、そういうことを言おうと心がけているらしい。
そんな母を見ているとどうしても反発心みたいなのが芽生えてしまって、「そんな無責任に大丈夫とか言わないで!」と思ってしまうんだが、やっぱり実際ポジティブなことを信じて物事を見ていたほうが「うまくいく」気もする。
 
 
だけどこういう最近のモヤモヤを姉にしたときに言われた。
歴史に名を残す人はみなネガティブだから!
との名言。まじですか、それ。
 
そうやって自己を肯定せずにいつも自分にストイックになる人はすごい。という話をしてくれた。
 
歴史に名を残す誰なのかわからないしまぁポジティブゆえ名を残しちゃった人もいるかもしれないしネガティブがじゃあより名を残せるかといえばポジティブよりなんとなく可能性は低そうだけど、、言うことはわかるよと。ポジティブあまりに思考停止にはなりたくない。
 
ほんとに疲れたら疲れたでいいと思うけど、そのことをつきつめて考える、なんで疲れてるのかどうしたら打破できるのなとか考えるのは、まぁ幸せにはなれないかもしれないけど性にあうのかなぁと。
※参考
 
 
というわけで、現状に不満を言いつつ自分を変えたいんだか変えたくないんだかわからない感じになりましたが、人との付き合い方に迷った大学生のブログとして生温かい目で見てもらえればと思います。
 
休学という名のモラトリアム突入まであと10日ほどしかなくて色々と焦る。
 
f:id:greenteaespresso:20160323011937j:image
丘の上で本読む生活いいなぁ〜。(思考停止)