納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

資本主義社会で生きるのがうまい人について

社会人一年目がもうすぐ終わろうとしている。

中身が激変した年だった。

 

学生の頃は、ただ「自分がやりたいこと」だけを考えていれば良かった。それで色々な方向に、表現したりしなかったりするのも自由だけど、卒業してこら何をしていたいか、それを考える時間だったんだなと思う。同年代、同じように将来が定まってなくて、同じような悩みを持つ人とだけ話してた。将来はどうにでもなる、と思ってた。自分がなにをやりたいかが前提で、お金は二の次だなとも。

 

 

でも最近、資本を手にした人と接するようになって、とても気になることがある。どこで分かれたのか。いつ壁が生まれたのか。

 

YouTuberという職業ができたりしてから、いわゆる「エリート」みたいな狭き門をくぐり抜けてお金を稼げるようになった、みたいじゃない人も(失礼)いて、信じられないくらい稼いでる。

自分の会社の社長が何億もアートにお金をかけていることとか、なんか桁外れのお金が集まることが不思議で仕方ないのである。人に対する人からの評価がお金になっているというか、人一人の力の差というか…なのだろうか。

私が尊敬してやまないバイリンガールちかさんというYouTuberは今年からノマド生活、海外移住をするという。場所を選ばない仕事、英語が話せること、それまでの稼ぎ、色々なそれまでの点がうまく繋がっているような気がする。ただそれも、ヒトひとりが新しいことを生み出して人にお金を出させる力みたいなものがあるからで。

 

ヒトひとりが、周りからお金を出させる力。

それがほんとにピンキリすぎて驚く。

それがその人の能力というんだろうか?

 

ただ、資本主義社会において生きるのがうまい能力ということだけは覚えておきたい。