納豆ごはんは世界を救う

第五人格とキャンプにハマる27歳の内省ブログ

2021/10/05

ショパンコンクール2020が始まった。
世界中から、ショパンという200年前の作曲家の曲だけを弾いて順位をつけるというコンクール。

エチュードは技巧的に色々な要素を詰め込んでものすごくて、姉がショパンの手は大きくはないと言っていたのを思い出すと、どんな気持ちでオクターブ連打の曲とかを作っていたのだろうと思う。
かと思えば叙情マックス振りみたいな曲もたくさんあって、曲を知れば知るほどショパンはどんな人だったんだろうと気になる。
今生きていて、このコンクールをみたらどう思うんだろうか?

なぜ作曲家の名前がついたコンクールがこうして何年も続いているんだろう、それだけその曲や作曲家はすごかったのだろうか。
今も越えられない何かがあるんだろうか。

今はピアノの技術だってなんだってお手本を簡単に見られて、実際母や姉の生徒さんたちをみて全体的な水準は上がっている感覚がある。

いい曲というのは、何をもっていい曲と感じるのかは人それぞれだけど、こう感情が揺さぶられるのは、これまでの経験値として私の中に刷り込まれているからなのだろうか?西洋の音楽的なそれまでの曲の展開とちがうことへの驚きとか、そういう感覚や知識からくる新鮮さに感動しているのだろうか?
いや、きっと生まれて初めてショパンの曲に触れてものすごく感動する人も、いるだろうな。

少なくとも、ショパンの曲を聴いて、情景を想起させられ感情をゆさぶられるということが私は嫌いではない。←偉そう